〔製作家情報〕 ヘルマン・ハウザー Hermann Hauser 20世紀ドイツ最高のギターブランドであり、現在も4代目がその伝統を継承し製作を続けている、クラシックギターの世界では屈指の名門です。ヘルマン・ハウザーI世(1882-1952)が、ミゲル・リョベートが所有していたアントニオ・トーレスとアンドレス・セゴビア所有のマヌエル・ラミレスをベースにして自身のギターを改良し、後に「セゴビアモデル」と呼ばれることになる「究極の」名モデルを製作した事は良く知られています。それはトーレスがギターの改革を行って以降最大のギター製作史における事件となり、その後のギター演奏と製作との両方に大きな影響を与えることになります。1世が成し遂げた技術的な偉業は2世(1911-1988)、更に1958年生まれの3世に受け継がれ、それぞれが独特の個性を放ちつつ、このブランドならではの音色と驚異的な造作精度を維持したギターづくりを現在も続けています。1世はいまやトーレスと並ぶほどの高値がオークションではつけられ、1世のニュアンスにドイツ的な要素を加味した2世の作品もまたヴィンテージギター市場では高額で取引されています。3世はますますその工作精度に磨きをかけながら、長女のカトリン・ハウザーとともに現在も旺盛に製作を続けています。
[製作家情報] クリストファー・ディーン Christopher Dean 1958年生まれ。イギリス、オックスフォードに工房を構える。10代の頃よりギターを演奏していましたが、17歳の時にプレゼントされたIrving Sloane のギター製作マニュアルを読んだことをきっかけに製作への興味を持ち始めます。1979年には有名なLondon College of Furnitureに入学し3年間楽器製作についての基礎を学びます(同校はゲイリー・サウスウェル、マイケル・ジーらの出身校でもあります)。ここでのカリキュラムにはホセ・ルイス・ロマニリョスやポール・フィッシャーの工房での実地研究も含まれていたことがきっかけになり、卒業後1年間ニュージーランドで家具製作に従事したのちに1982年フィッシャーの工房に職人として入ります。ディーン自身はフィッシャーのことを師として尊敬し実際に多くを学んでゆきましたが、フィッシャーはこの青年の成熟した感性と技術をすぐに見抜き、わずか3か月の「研修期間」のあとすぐに正式な職工としてフィッシャーラベルのギター製作を託すことになります。ここで充実した3年間を過ごした後に独立し自身の工房を設立、現在に至ります。
1993年には自身の製先技法を詳細に記した著書「El Arte de un Guitarrero Espanol」を上梓しており、書中では大工工房でみっちりと修行した彼らしく木材の適正な伐採時期(彼によると1月の、満月から一日経った最初に欠ける日に伐採するのが最適だという)から極めてユニークな内部構造の設計についてなどが語られています。
[製作家情報] マイケル・オリアリー Michael O’Leary アイルランド、キルケニーの生まれ。現在はカーロウ県に工房を構える、同国を代表する製作家。ギター演奏を能くした父親の影響で自身も幼少の頃よりギターに親しみ、やがて木工への興味と両立できる楽器製作へと彼を導くことになります。のちに息子のアレックが工房スタッフに加わり、デザイン・テクノロジーの学士号を有する彼はその知識とイノヴェイティヴな発想をギター製作に応用して着実な成果をあげています。マイケルとアレックの二人はまた同国におけるクラシックギター文化の発展と発信にも積極的で、The Guitar Festival in Ireland を主宰し多くの世界的名手が交流する機会を提供するとともに自身の製作におけるギタリストたちからの極めて有効なフィードバックを獲得できる場としても機能させています。伝統性と同時に革新性に対しても柔軟であった彼らはやがてスペイン的工法とオーストラリアに発祥を持つLattice(格子状)構造によるモダンなスタイルとの融合という発想に至り、コンサートホールにおけるパフォーマンス性の高さと同時に繊細な表現力を併せ持つギターへと着地させます。そのギターは名手ベルタ・ロハスやシャロン・イスビンが愛用し、デビッド・ラッセルが激賞することとなる、現代における優れたギターの仲間入りを果たします。世界的な名声を獲得した後も年に10本にも満たない丁寧な手作りの作業を今も継続しており、マーケットに出ることの貴重な楽器となっています。
[楽器情報] マイケル・オリアリー 2014年製 Used の入荷です。伝統性とモダンの融合を標榜するこのブランドの特徴が構造的にも音色的にも円満に現れた秀作です。内部構造的には、表面板のくびれ部から上はトラディショナルな、下はモダンな設計。サウンドホール上側(ネック側)に2本のハーモニックバーとサウンドホールの直径と同じくらいの幅の補強板を設置。この2本のバーは高音側と低音側とにそれぞれ一か所ずつ開口部が設けられています。そしてホール下側(ブリッジ側)は1本のハーモニックバーを設置。ネック両脇の肩の部分からサウンドホール下側のほうのバーにまで、高音側と低音側それぞれ2本の力木が垂直に交差するように(つまり表面板の木目と同じ方向に)して設置されており、サウンドホール上側の2本のバーの開口部をくぐり抜けるような設計になっています。そしてホール下側バーからボトムにかけてのエリアは9+9本の力木が互いに交差する格子状力木構造(Lattice bracing system)となっておりそれぞれの力木は高さが1~3㎜ほどの薄めの成形で上部がカーボンで補強されています。この格子は表面板の木目に対しおよそ45度の角度で交差しており、ギターを正面から立てて見たとして枡目が菱形になるような配置関係になっています。この表面板のくびれから上部分の構造はホセ・ルイス・ロマニリョスの、そして下側の格子状構造の部分はオーストラリアの製作家グレッグ・スモールマンにその規範を見て取ることができます。レゾナンスはG#~Aの間に設定されています。ボディの組み立てとしては裏板は厚みのあるココボロをアーチ型に成形して(内側にバーは一本も設置していません)塗装はラッカー、表板は非常に薄く塗装もセラックで仕上げられています。また表面板と横板との接合部分には大小のペオネス(断面が三角形をした小型の木製ブロック)を交互にして設置しており、これもまたロマニリョス的構造となっています。
[製作家情報] トビアス・ブラウン Tobias Braun 1960年 ドイツ、ホルツミンデン生まれ。のちオーストリア、ウィーン郊外の町ペルヒトルツドルフに移り、青年時代を過ごす。学業を終えた後はドイツ文学とジャーナリズムの勉強をしながら同時に独学でギター製作を習得し、1983年に最初の1本を製作。翌年には彼の製作家としての道筋を決定づけることになる名工ホセ・ルイス・ロマニリョス(1932~2022)のギター製作コースに参加。その後1988年にベルギーで開催された2回目を、その翌年1989年にもスペインのコルドバで3回目のコースを受講。同年にはウィーンでのマイスター資格を取得しており、製作家としての地歩を着実に固めてゆきます。1990年にロマニリョスの名著 ‘Antonio de Torres. Guitar Maker ー His Life and Work’ のドイツ語版を製作家のゲルハルト・オルディゲスと共同翻訳して出版。1992年にも4回目を受講し、そして翌年にはついにアシスタントとしてロマニリョスを支えてゆく立場にまでなってゆきます。1998年に工房をウィーンの森近くのガーデンに移し、現在もここで製作を続けています。彼は教育活動にも精力的で、楽器製作者のための継続的な教育と専門的な能力開発を主眼として設立された協会 N.I.C.E(“The Neufeld Instrument Makers’ Congress and Event”) 創設メンバーとして名を連ねているほか、アメリカの大手ギターメーカーGibsonや日本などでのレクチャー、また自身が開催する製作ワークショップなど、師ロマニリョスがまさにそうであったように、後進の育成に力を注いでいます。