カセレスのギターはオリジナルのラベルとデザインによるものと、アルカンヘル工房品として「Para casa Arcangel Fernandez」のラベルを貼って出荷されているものとがあり、後者は基本的にアルカンヘルの監修による仕様に準拠していますが、オリジナルラベルによるモデルは内部構造からヘッドシェイプ、細部の仕様からラベルデザインに至るまでいくつかのタイプがあり、音色の傾向もそれぞれ異なり、個性的なものになっています。
割れなどの大きな修理履歴はありませんが、十分に弾き込まれており、表面板のサウンドホール付近にやや集中して弾き傷が見られるほか、その他全体にスクラッチ傷や摩擦痕等があります。ネック裏とヘッド裏には爪による傷がやや多くあります。裏板は演奏時の衣服の摩擦あとなどが少々あり、一部塗装ムラを生じていますが使用には全く問題ございません。ネックは真っすぐを維持しており、フレットも正常状態。ネックシェイプはやや薄めでフラットに加工されたDシェイプ、弦の張りは中庸で、演奏性に関してはノーマルなフィット感です。糸巻はSchaller Grand Tuneを装着しこちらも動作状況に問題ありません。
[製作家情報] ドミンゴ・エステソ Domingo Esteso Lopez (1882~1937)スペイン、クエンカ県のサン・クレメンテに生まれる。1900年にマドリッドに転居し、おそらく同時期にマヌエル・ラミレスの工房に職工として働き始めています(文献によっては1890年代に既にラミレスのもとで働いていたという記述がありますが、転居時期との前後は定かではありません)。この伝説的な工房で彼はサントス・エルナンデス、モデスト・ボレゲーロなどの職人たちと共に製作、1916年にマヌエルが亡くなった後も師の工房にとどまり、サントスと共に「Viuda de Manuel Ramirez」<マヌエル・ラミレスの残された細君による>のラベルで製作を継続(ラベルにはDEの頭文字が記されています)しています。1919年に彼はグラビーナ7番地に自らの工房を設立し、自身のラベルで製作を開始。1926年には甥のファウスティーノが工房スタッフとして加わりさらにその兄弟のマリアーノ、フリオも工房スタッフとして加わります。1937年に亡くなった後、工房はこの3人の甥たちに引き継がれ、のちのコンデ・エルマノスブランドへと発展してゆきます。
フレタ家はもともと家具製作など木工を生業とする家系で、イグナシオも幼少からそのような環境に馴染みがありました。13歳の頃に兄弟とともにバルセロナで楽器製作工房の徒弟となり、更に研鑽を積むためフランスでPhilippe Le Ducの弦楽器工房でチェロなどのヴァイオリン属の製作を学びます。その後フレタ兄弟共同でバルセロナに工房を設立し、ギターを含む弦楽器全般を製作するブランドとして第一次大戦前後でかなりの評判となりますが、1927年に工房は解散。イグナシオは自身の工房を設立し、彼の製作するチェロやヴァイオリンをはじめとする弦楽器は非常に好評でその分野でも名声は高まってゆきます。同時に1930年ごろからトーレスタイプのギターも製作していましたが、1955年に名手セゴビアの演奏に触れ、そのあまりの素晴らしさに感動しギター製作のみに転向することになります。フレタは巨匠の演奏から霊感をも受けたのか、その新モデルはトーレススタイルとは全く異なる発想によるものとなり、1957年に製作した最初のギターをセゴビアに献呈。すると彼はその音響にいたく感動し、自身のコンサートで使用したことで一気にフレタギターは世界的な名声を得ることになります。それまでのギターでは聞くことのできなかった豊かな音量、ダイナミズム、そしてあまりにも独特で甘美な音色でまさしくこのブランドにしかできない音響を創り上げ、セゴビア以後ジョン・ウィリアムスやアルベルト・ポンセなどをはじめとして数多くの名手たちが使用し、20世紀を代表する名器の一つとなりました。
当初はIgnacio Fletaラベルで出荷され、1965年製作のNo.359よりラベルには「e hijos」と記されるようになります(※実際には1964年製作のものより~e hijos となっておりフレタ本人の記憶違いの可能性があります)。1977年の1世亡き後も、また2000年代に入りフランシスコとガブリエルの二人も世を去ったあともなお、「Ignacio Fleta e hijos」ラベルは継承され、現在は1世の孫にあたるガブリエル・フレタが製作を引き継いでいます。