[製作家情報] アントニオ・ラジャ・フェレール Antonio Raya Ferrer 1980年 スペイン、グラナダの生まれ。現在も同地に工房を構え製作を行っています。父は同地を代表する製作家の一人として日本でも人気のあったアントニオ・ラジャ・パルド(1950~2022)、そして母ピラール・フェレールは現在のグラナダ派形成の最重要人物ともいえるエドゥアルド・フェレール(1905~1988)の孫娘であり、彼は文字通り物心つく前からこの二人の工房で製作する姿を見ながら育ったといいます。14歳の頃から父の工房で働き始め、17歳の時には自身のラベルで製作を開始。父親そしてグラナダの伝統に最大限の敬意を払いながら、慎ましくその継承者としての任を自覚している誠実な彼は、やはり父親同様にどこか柔和で素朴な作風が魅力的なブランドとして出発し、現在はあくまでも彼自身の成熟ゆえの帰結として、音響的そして造作精度的に高度の洗練を成し遂げた俊秀としての位置を確立しています。
[製作家情報] ヘルマン・ハウザー1世 Hermann Hauser I (1882~1952)。その比類ない完成度と以後のギター界全体への影響の大きさにおいて、20世紀最大の製作家とされ、現在もクラシックギター至高のモデルとしてフォロワーの絶えない「セゴビアモデル」を世に出したことで知られるドイツ、ミュンヘンのブランド(のちに現在のライスバッハに移ります)です。
〔製作家情報〕 マルセロ・バルベロ・イーホ Marcelo Barbero Hijo 1943年マドリッド生まれ。父は20世紀前半のスペインを代表する名工の一人マルセロ・バルベロ1世(1904~1956)。わずか13歳の時に父バルベロ一世が他界したあと、その弟子であったアルカンヘル・フェルナンデス(1931~)が1957年に自身の工房を開き、バルベロ・イーホは徒弟としてアルカンヘルの工房に入ることになります。アルカンヘルは最初彼をあえてホセ・ラミレス3世の工房に修行に出し、このスペイン最大のブランドで製作の基礎を学んだ彼は、1960年の17歳の年にはすでに最初のギターを製作するまでに技術を磨いていきます。その後アルカンヘル工房に戻り、師と共にまさに職人ならではの実直さと探求心で製作に打ち込みます。「アルカンヘル・フェルナンデス工房品」のラベルを貼って出荷されたそのギターは実質バルベロ・イーホ本人による完全手工品であり、師アルカンヘルに勝るとも劣らない非常なクオリティを有したものとしてコアなギターファンに愛されました。1990年代後半からは自身のオリジナルラベルでの製作も並行して行い、ますます洗練と充実の高まりを見せていた彼でしたが、2005年1月に早すぎる死を迎えてしまいます。渋くやや硬質な粘りを持ったその音色は師アルカンヘル、さらには父バルベロ1世にまでつながるスペインギター最良の伝統を感じさせ、特に晩年に近づくほどに評価の高まりを見せるその楽器は、まさにスペインギター随一の逸品としての評価を不動のものとしています。
〔楽器情報〕 マルセロ・バルベロ・イーホ 製作 Para Casa Arcangel Fernandez(アルカンヘル・フェルナンデス工房品)ラベルによる1978年製 Used クラシックモデルです。製作家 江崎秀行氏による全面セラックニスによる再塗装、カナダの高級糸巻ブランドRodgers のフステーロモデルへの換装、さらには内部構造におけるカスタマイズ(部品の付加)など、音響に関連する部分へのそれなりのアクションを経ているため、オリジナルとはまた異なるニュアンスを持つ楽器へとリモデルされた、興味深い一本となっています。
〔製作家情報〕 モデスト・ボレゲーロ・オルテガ(1893~1969)スペイン、マドリッド生まれ。12歳の時にマヌエル・ラミレスの工房に徒弟として入り、その後同工房のサントス・エルナンデスやドミンゴ・エステソに続く重要な職人として製作。1916年にマヌエルが亡くなった後もボレゲーロは1923年に工房を閉鎖するまで残って製作を続けました。翌1924年には独立し工房を開きますが、間借りした建物の劣悪な環境のため設備を整えるのに相当の苦労をし、その後も同じマドリッドで何度か工房を移して製作を続けていたもののスペイン市民戦争のさなかでその工房も失い、また妻が二人の子供を残して他界するという不幸と困難に見舞われます。さらに何度かの転居の後、1945年に工房を再開し、彼のギターは少しずつ評判を取り戻すようになりますが依然苦しい生活が続きます。そして1948年、当時家具の修復をしていたエルナンデス・イ・アグアド(マヌエル・エルナンデスとヴィクトリアーノ・アグアド)が自分たちの工房の一部を仕事場として提供してくれることになるのですが、アグアド達はこのときボレゲーロの仕事を間近に眺めギター製作に興味を持ち、これが機会となり彼らは本格的にこの道に入ることになります。ボレゲーロは1952年に転居するまでここで仕事を続け、その後は楽器店 Casa Garrido の専属としてギターを製作。Casa Garridoではのちにアグアドの後継的な系譜に繋がる重要な製作家ビセンテ・カマチョにギター製作を教えています。彼の弟子としてはほかにもフェリックス・マンサネーロ、息子のエンリケ・ボレゲーロらがおり、二人ともその後ホセ・ラミレスⅢ世の工房に入りスタンプを与えられて製作しています。病気のため1963年には製作から退き、1969年にマドリッドでその生涯を終えます。彼のギターは戦前のマドリッド派が持っていた、力強く温かみのある音色、良く歌う艶やかな響きを備えたロマンティックなギターで、サントス、エステソと比較して語られることが多い。また歴史的にマヌエル・ラミレスとエルナンデス・イ・アグアドを繋ぐ製作家としての意義は大きく、その評価は現在でも揺るぎのないものとなっています。
〔楽器情報〕 モデスト・ボレゲーロ製作、1930年製 Usedです。横裏板がシープレス仕様であることと内部構造の特徴から、フラメンコモデルとして作られたものと考えられます(現在はゴルペ板は剥がされており、両方の用途で使われています)。ラベルには「Antigua oficiel de Manuel Ramirez」の文言が印字されており、この時すでにボレゲーロは独立していましたが、敬愛する師の名前を継続して使用することで自身が正統なマヌエル・ラミレス工房の職人であったことを訴求していたことがうかがわれます。ラベルデザインもまたマヌエル・ラミレス的な意匠を受け継いでいるのですが、工房住所のところに貼り紙をして「Desengano.2」と訂正されており、ちょうどこの時期不安定な生活の中で転居を繰り返していた様子も読み取ることができます。実際二つの世界大戦、さらにはスペイン市民戦争による世情の煽りをまともに受けたこの製作家にとって、その中間の時期である1920年代から30年代半ばにかけては例えば兄弟子のサントス・エルナンデスのように充実した製作期となったはずであろうところ、やはり相当な苦労をしながらなんとか製作を続けていたようです。
〔製作家情報〕 ヘルムート・ブッフシュタイナー Helmut Buchsteiner 1940年オーストリア、グラーツ生まれ。1954年から弦楽器製作家のJakob Doriathのもとで修行を始め、めきめきと頭角をあらわすようになり、1957年にはジャーニーマン(徒弟制度を終了した職人)としての資格を得ます。この時期オーストリアのRosmeizel、ドイツの老舗メーカー Roger などに職人として働き、主にジャズギターの製作に従事していますが、ここでクラシックギターも製作も始めています。1961年には弦楽器、打楽器のマイスター称号を取得。1962年から2年間にイギリスに渡りエレキ、アコースティックギターの製作に従事、そして1964年から1966年までアメリカのニューヨークやシカゴでギターと弦楽器マスタービルダーとして現地のブランドと共同製作や修理に携わるようになります。1966年ドイツに帰国後はGIMA/Voss 社の工場長に就任し、主にアーチトップギターなどを製作。1968年には渡米前に働いていたノイマルクトの Roger工房を借りて自ら会社を設立しますが、最初は主に卸売り中心だったようです。1969年ごろからこの会社が経営をクラシックギターを含む多様なラインナップの製作と卸売りを行うブランド(b-ton)へと経営を拡大してゆき、その後は後進を育てながらクラシック、エレキ、アコースティック、弦楽器、古楽器など実に多様なジャンルで製作を続け、数々の賞を受賞。1985年には東京で世界の最もすぐれた10人の弦楽器製作者に選ばれるなど、その精緻極まる工作精度とバランスの良い音響は国際的な名声を獲得してゆきます。1989年からドイツ、ミッテンヴァルトにてヴァイオリン製作学校にて教鞭を執り、1992年からはオーストリア北部ハルスタットに移り、ハルシュタット大学木工芸科で教鞭をとる傍ら製作。
[製作家情報] ホセ・ラミレス Jose Ramirez スペイン、マドリッドのクラシックギターブランドで、ホセ・ラミレス1世(1858~1923)、2世(1885~1957)の時代から現在のホセ・ラミレス5世まで、1世紀以上に渡りスパニッシュギター製作史のなかで最も重要なブランドの一つとしてその名を刻み続けており、いまなおワールドワイドにマーケットを展開する工房です。
[製作家情報] マヌエル・ベラスケス Manuel Velazquez(1917~2014) 1917年プエルトリコ生まれ。母方の祖父母はスペイン人で、名工サントス・エルナンデスの縁戚にあたります。農業に従事する家系に生まれながらも彼は家具職人として修業を始め、同時にギターも製作するようになります。16歳で最初のギターを製作し、その頃に製作したギターの完成度の高さに感銘を受けた地元のある音楽家からニューヨーク行きを勧められ、1941年移住。第二次大戦の時期には造船所で木工に携わります。地道に製作を続けていた彼のギターは1940年代後半から地元の名演奏家たちに愛用されるようになり、その後はアンドレス・セゴビアが彼のギターを称賛するなど、瞬く間に名声を獲得してゆきます。1972年にプエルトリコに戻りそこで工房を設立、1982年には再びアメリカに戻りヴァージニア州で9年間過ごした後、フロリダに移り製作を続けます。この頃から息子のアルフレッドも製作に参加するようになり、2014年にマヌエルが亡くなった後は彼が工房を引き継いでいます。
[楽器情報] マヌエル・ベラスケス 1994年製 Used の入荷です。1970~80年代のいわゆる大型化の時期を経てハウザー的な作風に回帰したのが1990年代に入ったころとされ、そのままその「原点」に回帰したままのように認識されがちですが、実際はこの後にさらに大きなフェーズの転換が起こります。1990年代後半からは言ってみれば軽さの時代に入り、楽器は軽量化し、表面板に力木構造はラミレス系マドリッド派によく見られるようなブリッジを中心に菱形にバーを配置してその中央を3本の平行の力木を設置するといった設計(ここでも力木やバーはマドリッド派のそれよりも著しく繊細な造りになっています)を採用、さらにはラッカー塗装からオイルフィニッシュへと移行することで音とボディの双方における軽さへの志向が2000年代には完成することになります。