自身のラベルによるものはクラシック、フラメンコそれぞれ一貫してワンモデルのみを製作。それ以外には工房品(「Para Casa Arcangel Fernandez」ラベル)としてバルベロ・イーホやマヌエル・カセレスらが製作を担当して出荷もしています。この二人はそれぞれ自身のオリジナルラベルでの製作も行っていますが、アルカンヘル工房品として出荷されたものも完全手工品として(ラベルには製作者の名前が明記されています)極めて高いクオリティのもので評価も高く、現在中古市場でも人気のアイテムとなっています。
[製作家情報] マヌエル・ベラスケス Manuel Velazquez(1917~2014) 1917年プエルトリコ生まれ。母方の祖父母はスペイン人で、名工サントス・エルナンデスの縁戚にあたります。農業に従事する家系に生まれながらも彼は家具職人として修業を始め、同時にギターも製作するようになります。16歳で最初のギターを製作し、その頃に製作したギターの完成度の高さに感銘を受けた地元のある音楽家からニューヨーク行きを勧められ、1941年移住。第二次大戦の時期には造船所で木工に携わります。地道に製作を続けていた彼のギターは1940年代後半から地元の名演奏家たちに愛用されるようになり、その後はアンドレス・セゴビアが彼のギターを称賛するなど、瞬く間に名声を獲得してゆきます。1972年にプエルトリコに戻りそこで工房を設立、1982年には再びアメリカに戻りヴァージニア州で9年間過ごした後、フロリダに移り製作を続けます。この頃から息子のアルフレッドも製作に参加するようになり、2014年にマヌエルが亡くなった後は彼が工房を引き継いでいます。
[製作家情報] 1958年生まれ。イギリス、オックスフォードに工房を構える。10代の頃よりギターを演奏していましたが、17歳の時にプレゼントされたIrving Sloane のギター製作マニュアルを読んだことをきっかけに製作への興味を持ち始めます。1979年には有名なLondon College of Furnitureに入学し3年間楽器製作についての基礎を学びます(同校はゲイリー・サウスウェル、マイケル・ジーらの出身校でもあります)。ここでのカリキュラムにはホセ・ルイス・ロマニリョスやポール・フィッシャーの工房での実地研究も含まれていたことがきっかけになり、卒業後1年間ニュージーランドで家具製作に従事したのちに1982年フィッシャーの工房に職人として入ります。ディーン自身はフィッシャーのことを師として尊敬し実際に多くを学んでゆきましたが、フィッシャーはこの青年の成熟した感性と技術をすぐに見抜き、わずか3か月の「研修期間」のあとすぐに正式な職工としてフィッシャーラベルのギター製作を託すことになります。ここで充実した3年間を過ごした後に独立し自身の工房を設立、現在に至ります。